放浪譚

現状の惨状は
何をするにも感覚的で
論理的にモノを考えることが
超絶苦手だった事によるトコが多い。

条件つきではあるけど、家族は
教育のための出資を惜しまなかった。
それを 好き勝手利用していた。

悪気はない。ただ
自分で働いて生活するという発想が
私には まるで無く

仕送りという
どこからともなく湧いてきたお金を
なんとなく財布に入れて

あまり深く考えることはせず
その場しのぎで生活していた。

家族としては
幸せになってほしいという思いで
人生を賭けた投資をしたのだと思う。

私はそんなこと知る由もなく
家に帰りたくない一心で
進学していた。

「学業に専念すればいい」と 家族は
ひじょうに愛情深い言葉を呟き、
家賃や生活費の仕送りは十分にしてくれた。

それにかまけて学部時代
大学のTA以外、アルバイトはしなかった。

このときはまだ知らなかった
…わけではない
知ってたけど 混ざってた。

愛情と共にある 愛情に似た
強力な“毒薬”について。

お金を出して“あげる”ことで
勉強させて“もらう”ひとを
従える立場に置き
行為も思考も コントロールする。

家族の“させたい”は
私の“したい”
…であるはずがない。

当時の私は“したい”という
強い意思はなかった。
それで家族の“させたい”と
よくイコールで結ばれてしまった。

行為も思考も
奪われてることは 知っていた。

だけど そこから
解き放たれる術を知らなかった。

「学校の外で働いてみたらいいよ」
K藤先生は言った。

やっぱり深く考えることはしなかった。

当時いちばん信頼していたひとの言葉。
だから素直に従って
はじめて大学以外でバイトをした。

悲惨だった。
「仕事が遅すぎる 不器用 手際が悪い」
その末「いい子なんだけどね…」と
シフトは入らず
法的な理由で 書面上は在籍にされたまま
“実質解雇”のくり返し。

家族からは
「コンビニバイトくらい」
「スーパーのレジくらい」
誰でもできると
幼少時から 幾度となく説かれていたが

私には その誰でもできるはずのことが
全然できなかった。

ふたたびK藤先生に
「何やっても、ダメですよ」と相談した。
「君は…」たくさん問題があって
ひとりじゃ抱えきれないみたいだ、と
K藤先生は言った。そして
いちど病院に行ってみることを勧めた。

例によって 考えもせず病院に行った。
病院から紹介された機関で
「一般職業適性検査」を受けた。

検査ぜんぶ
ふつうのひとの6~7割しかなかった。

小さいものを取り扱う能力
物を手に取り、定められた場所に置く能力
・・・日常生活でいうとボタンを留めるとか
テーブルに配膳するとか そういった動き。

それが 決められた時間に
ふつうのひとの6~7割しかできない
ということ。

私は初めて 客観的指標をもって
自分が みんなの言うところの
「使えない」人だと知った。

そして 病院から
障害者就労支援センターを紹介された。

さらに、障害者手帳を取得した。

「要領が悪くて 運動が苦手で
一風変わった神経質な子」

学校にいる限り多少難はあっても
勉強しさえすれば それで済んだが
いそがしい企業には
使えなければ居場所がない。

結局 就労支援センターづてでは
就職できなかったけど
意地でもひとりで生活する知識

…このあと私が生き残る術
を学ぶことができた。

・・・

当時バイトをしていた某食堂でも
シフトが入らない日は続いたが
人材が不足していて
たまに、仕事に呼ばれていた。

そのうちに 仕事と要領と
その場の空気をおぼえて
レギュラースタッフになった。

要件を満たしたので
調理師免許も取得した。

しかし不安定だった。

私に好意的な人物が多いときは
本当に何の困難もなかったけど、
職場のメンバーが変わると

…空気が変わると
慣れない環境にたじろいで
どのように振る舞ったらよいか分からず
しばしばパニックを起こした。

もとのスペックが低い上
仕事の場を しっちゃかめっちゃかにすれば
それは シフトが減らされて当然。

シフトが減らされると 収入はない。
そのうち実家から
「仕送りは難しい」と言われて
おずおずと帰郷を決めるのだった。

なぜ 帰るところがないのに
帰ろうとするのか。

ひとりでやっていく自信がない
というのは 格好つけた言い方で
その実、仕事に時間がとられて
余暇を減らすのが たいぎかっただけ。

・・・

能力的にも 人間的にも
マイナスをゼロにするところから
放浪は始まった。

車のワイパーみたいに
通ったところの水が切れて
見えるようになって
また雨に降られて見えなくなる。

窓から見える道路は現状
ワイパーは思考と予想。

ワイパーの通ったとき
次にワイパーが通ったとき
両方の景色を繋げて
道の状況を把握するように

見えた現実をつないで
現実の 現状の
みえない道を放浪している。