great asset_2

つづき。

浄水器自体も宗教への「献金」が含まれていて
かなり高額だけど、
カードリッジも然りなんだろう。

たぶん 家族に幸せになってもらいたい、と
本気で思っているのだろう。
しかし・・・

税金が払えないような状況で
借金までして宗教に献金するとか。

きっとお金を献金することで
家族は救われる。
そこに導いた私は救世主なのよ
…みたいなノリなんだろう。

それと もうひとつの謎。

卒寿については 父が宗教を嫌っているので
内緒にするのは しかたないにしても、
固定資産税の件はふつうに話し合えばいいこと。
なぜそれをしないか。

これもきっと 同じ原理なんだろうね。

私が貸した金額は 母の言い値より少ない。
Tへの仕送りを1ヶ月止めて
そのぶんを税の支払いに回すことを想定して。

父と「税金が支払えないから」ということを
ちゃんと話し合えば、父は行動を起こして
自分で何としても工面するはず。

そもそも
私に借金するなんて「みっともない」こと
絶対許さない。

母は結局、仕送りを止めることなく
年金を使ってしまった。
…何も話し合わなかったんだ。

Tを無職のままでいさせてること、
学生時代のアパートに、学生時代と同じように
仕送りして養い続けているのは
父の意思もあるけど

父の言葉を尊重してあげてる
無力なTを支えてあげてる
“すべて”を家族に秘密にして
絶対バレないように神様と家族をつなげて
一族を“救って”あげようとしている
そういう母の意思でもあるのではないか。

陰ながら尽くしている、犠牲になっている
無償の“愛”を与え続ける「私」に
価値を見出している。それが生きがい。

・・・

もし親が死んだら
子どもは ひとりで生きていかなければならない。

ひとりで生きる力を育てることが
“子ども”という一個体への愛なのに
ひとりでは生きられないように操作する…

一個体ではなく
親自身と子どもが融合した形でしか愛せない。

「うつみたいな感じだから…」
「慣れとる所を離れるのは難しいから…」

親が面倒をみなきゃいけない?

・・・

母は 自分の存在意義のために
父に従い Tを養っている
と言い替えられる。

「家族のため」は
「私の存在意義のため」だね。

智に働けば角が立つ
情に棹させば流される

はっきり言ってしまうのは 忍びないし
そもそも意図が伝わらず
キレられるか 泣かれるか。

母の家族を思う心ばかり尊重すると
少なくとも Tの未来はない。
家の財産は新興宗教に奪われて。

というか、宗教のために
親子間とはいえ ふつうに多重債務を負う
その金銭感覚は異常じゃないか?

ちょっと考えてみてほしい。

自分たちはあと何年、何万円稼げるか。
年何万円使うと想定されるか。
貯蓄と年金で、老後何年
生活水準を落とさず生きられるか。

宗教はおろか Tを養う余裕なんて
絶対、ないから。

・・・

遺産は モノだけじゃない。

子どもという“一個体”への愛。
ひとりで生きる力。
困ったら周りに上手く頼る力。

それは どんな財産にも勝るとも劣らない
かけがえのない遺産だと思う。