土曜日と二人の指導教官の話

それが決定したのは、土曜日
…1月27日だった。

K藤先生が「センターから学校まで送るよ」と言ってくださり
私はすごくうれしかった。
バスや電車はすごく疲れる。

「そこで、修論の話をしよう」
K藤先生はおっしゃった。

何の話でもいい。乗せていただけるなら、それでいい♪

修論が間に合わないわけではなかった。
しかしK藤先生は、私の中のもうひとつの考えに
薄々気づいていたのかもしれない。そして、
その考えに従うべきだとK藤先生も、I田先生も思っていた。

ただそれだけのことだった。

表現が上手くできない私が
自ら口にすることのない考え。

K藤先生は車の中で、それを直接突くでもなく
私の言葉でしゃべらせて、うまく引き出してくださった。

しかし、車の中の90分で決着をつけるには
あまりに重い話。

車に乗れることに浮かれてた2時間前は
遠い昔のことのよう。

学校について30分、さらに話し合いを続け
私は結論を出した。

悩みに悩み抜いた結果だった。

この後、I田先生と1時間話し合った。
もともとI田先生はそうするのがいいと思っていたので
苦い顔はしなかった。

「たとえそうでも最後まで、みんなと一緒にがんばるから」
そう宣言して、修論のラストスパートをかけた。
1月29日17:00、終わった。

K藤先生、I田先生いずれがいなくても
今の状況は起こりえなかった。
すべて終わったはずなのに、未だに緊張が解けきらない。

修論は、提出しなかった。
・・・私、留年するから・・・