ヒュー・アストンのマスク
今日、彼は いつも顔を合わす場所に現れなかった。
「昨日の夜“土曜・日曜は休みます”ってメールが来とった」
と、人は言った。
私が引越しでバタバタしていた頃
彼は一度熱を出して
その場に行かなかったことがある。
今回はそういった理由も述べず
ただ来なかった。
心配だったけど、時は流れる。
その“時”に、やるべきことを、精一杯やるだけ。
みんなが帰る頃になって、偉い人が来た。
ミーティングがあった。
偉い人は、彼が
「精神疾患ということで、これからどうなるかわからない」
と、言った。
台風が来た日、私は彼と最後に出会った。
「疲れてる?」
彼は、私を気遣った。
その日、私が帰った後、彼は別件で電話をかけてきた。
「見とれてしまいました…かわいいから」
用件のあとに彼は、一緒にあの場に居たときの感想を付け加える。
「あまり話せないからね」と残念そうに。
“精神疾患”…私にとっては身近な言葉。
大学院で専攻していた専門領域だから。
私が、彼にできることは“祈る”のみ。
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『ヒュー・アストンのマスク』
by.アストン<Hugh Aston(1485 – 1558)>
リコーダーで『イン・ノミネ(御名によりて)』を練習していたとき
先生から勧められたCDに、収録されていた。
ルネサンス音楽っていう区分になるらしいけど
日本で言ったら室町時代とか、安土・桃山時代とか。
響きは美しく、だけどつかみづらい。
飛びきらなくて切ないようで
無感情に淡々としていながら、波乱を帯びているようで。
「そういえば、まだリコーダーを聴かせてもらってないね」と
台風の日、彼は言った。
そんな約束を5ヵ月前にしたけど
お互いに忙しく、実行できずにいた。
忘れずにいてくれて、それだけでうれしかった。
CDをかけっぱなしで、彼のことを考えているとき
よくこの『ヒュー・アストンのマスク』が
流れているような気がする。
いや、無意識に注目してしまうんだ。
つかみづらい、飛びきらない音楽が
彼との、でこぼこ道な関係を思わせる。