たとえば、寒い冬の日

たとえば、寒い冬の日。
仕事を終えて、帰り道。
ようやく我が家が見えてくる。

タイマーで暖房かけて
今頃いい感じで ぬくもってるはず。

仕事で疲れて眠たくて
雪が降り積もって寒くて
…ってな状況。

そうそう、家は山の中にあって
コンビニとかないし
商店は閉まっている時間で。

あと4m。
およそ5歩で、玄関にたどり着く。
そんな感じ。
我が家の玄関は、“死ぬ瞬間”。

何のこっちゃって話だけど
これが、希死念慮のイメージ。

死に“たい”っていうのとは
ちょっと違うと思う。

暗くて、疲れて、寒くて
もう、そこに行き着くしかない
そこしか見えない、みたいな。

灯りがあるし、布団があるし、暖かいし。

「死んだら親が悲しむよ」とかって言葉は
「そこに木の葉が落ちてるよ」って言うのに同じ。
木の葉で季節を感じる余裕なんかないし
そもそも暗くて見えないし。

そう。
たいていの言葉は無力だ。

ドアに手をかける前にできることって
いったい何があるんだろうね。

異次元

Posted by 禅寺丸